倉敷医療生活協同組合 玉島協同病院(TAMASHIMA KYODO HOSPITAL)

電話番号:086-523-1234

地域連携室より

2020年3月から、退院支援看護師が1名増え、
地域連携室は
●入退院支援室(入退院支援看護師2名)
●医療福祉相談室(医療ソーシャルワーカー2名)
●地域連携室(事務2名)
の3つの部門で成り立つ部署となりました。
これからも、さらなる地域連携の強化と入退院支援の向上を目指し、地域の皆さんにとってかかりやすい病院であるようサポートしてまいります。

2020.11.05

手洗いの重要性「消毒の父」ゼンメルワイス

こんにちは、地域連携室です。
 現在、インフルエンザや新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐ最も効果的な方法のひとつとして、「手洗いをすること」は当たり前になりました。ですが、こうしたアドバイスはいつの時代も常識だったわけではなく、19世紀においてはむしろ非常識ですらあったのです。今回は手洗いの大切さを発見したにもかかわらず、報われなかった不遇の天才医師、「ゼンメルワイス」についてご紹介したいと思います。
(この先長文です。興味のある方だけお読みください。)

  ゼンメルワイスはハンガリー出身の医師です。当時は病原体という概念がなく、人間の身体は「血液」「粘液」「黄胆汁」「黒胆汁」の4種類の基本体液から成り立ち、このバランスが崩れることで病気を発症すると信じられていました。細菌やウイルスなどの病原微生物が、感染症を引き起こす原因とは認められていなかったのです。そんな時代に科学的な思考および検証で「手洗い」の重要性を見出したのがゼンメルワイスでした。ゼンメルワイスがオーストリアの総合病院で産科医をしていた当時、1〜3割の妊産婦はお産の後に産褥熱(分娩によって生じた傷に細菌が感染して産後24時間から10日の間に38℃以上の熱が2日以上続く状態)で亡くなっていました。その頃、感染症は予防することは不可能な病気だと考えられていたといいます。ゼンメルワイスは同院での産褥熱による死亡率が、医師や医学生が分娩を行う第1クリニックでは約13%、助産婦やその見習いが分娩を行う第2クリニックでは約2%であることに気がつきました。そして、第1クリニックの医師や医学生たちが、死体の病理解剖を行った後に産科で検診していたことを突き止めたのです。当時、医師に診察前に手を洗う習慣はありませんでした。死体から何らかの原因物質が妊産婦に運ばれているのではないか、と考えたゼンメルワイスはその物質を「死体粒子」と名付け、1847年に第1クリニックの医師や医学生にさらし粉(次亜塩素酸カルシウム)溶液での手洗いを義務付けました。すると、第1クリニックの産褥熱での死亡率が劇的に低下し、第2クリニックとほぼ同様のレベルにまで下がったといいます。1848年にはさらに消毒の範囲を広げ、手術に使用する医療器具も消毒するよう徹底した結果、産婦人科病棟から産褥熱がほぼ撲滅されたのです。
 ところが医療行為は「神業」だと考えられていた当時、医師の手で病気が運ばれ死に至るというゼンメルワイスの考えは認められませんでした。ゼンメルワイスはその後ウィーンから去り、故郷のハンガリーに戻って産科病棟に勤め、再び手と医療器具の洗浄で産褥熱の死亡率を低下させます。「手洗い」についての論文を2本発表して1861年には本も書き上げますが、医学界ではことごとく否定されてしまったのです。ゼンメルワイスは失意のうちに健康を蝕まれ、精神科病院に入院したあとほどなくして亡くなっています。ゼンメルワイスの死後、ルイ・パスツールが細菌説を唱え、それを受けてジョセフ・リスターが消毒法を確立したことで、ようやく彼の理論は広く認められるようになりました。現代では常識とも言える「手洗い」「手指消毒」の重要性は、こうしてゼンメルワイスによってもたらされたのです。

予防法がゼンメルワイスにより確立されながら、それが広く実施されるまでに要した時間は実に半世紀・・・!手洗いが当たり前になった背景には、こうした先人たちの努力があったのですね。

 長くなりましたが、これから感染症がはやる季節です。みなさんも、正しい手洗い・消毒で感染症を予防しましょう!
最後までお読みいただきありがとうございました。
【参考文献】
厚生労働省 https://www.mhlw.go.jp/index.html
KENNKOHEADLINE https://www.tokyoheadline.com/509902/

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